紀伊半島10日間、ICAキャニオニングガイドへの道
ようやく奥多摩に帰ってきた。
車を降りた瞬間、見慣れた山の空気が肺に入ってきて、ようやく実感が湧いた。10日間、紀伊半島の渓谷を駆け回り、水を浴び、岩を登り、ロープを結び続けた日々が、ゆっくりと胸の中に落ち着いていく感覚があった。
やっと、終わった。そして、やっと、果たせた。
基本的にかなり細身だが、この期間に相当からだが絞れました。
9年前の話
9年前、私はCICガイドコース(ICAの前身となる団体)に挑んだ。
結果は、びっくりするほどボロボロの内容だった。技術が通用しないとか、準備が足りないとか、そういう次元ではなかった。コースは途中で中止になるほどの状態で、悔しさと情けなさで言葉が出なかった。自分のことが、情けなかった。受講生全員の技量も足りず、途中インストラクターがF××Kって言っちゃうぐらい怒ってました。
その後自分のキャニオニングスキルを知り基礎から始めようと、受かっているアシスタントガイドコースから再度受け直しました。その時に一緒に参加したのりさんが言ってくれた言葉がある。その言葉は、ずっと心の奥に灯り続けていた。消えることなく、静かに、しかし確かに。
いつかもう一度挑もう。そう思いながら、一度諦めたガイド試験。農家として、生活を積み上げてきた。
のりさんのこと
のりさんと出会ったのは、CICのモジュール1と2だった。
沢登りの世界ではよく知られた方で、仕事を休んでコースに参加していた。その情熱と風貌が、当時の私の印象に残っている。一緒に受けたセイちゃんとものりさんの第1印象は相当に残っている。のりさんはその後、キャニオニングで学んだ技術を沢登りに取り入れ、二つの世界をつなぐ存在になっていった。
コースが終わってからも、一緒にフィールドに立ち続けた。紀伊半島に何度も足を運び、渓谷を下り、思い出を積み重ねた。今回歩いたコースの中にも、かつてのりさんと一緒に下ったことのある渓谷がいくつかあった。水の流れを見ながら、ふと当時の記憶が蘇る瞬間が何度もあった。
屋久島にも2回、一緒に行った。まだ誰も名前をつけていないルートを二人で開拓した。キャニオニングのパートナーと呼んで、差し支えない関係だと思っている。
そののりさんが、モジュール2が終わったとき、こう言ってくれた。
「モジュール3に活かして欲しい。」
たったそれだけの言葉だった。でも私にとっては、ずっと消えなかった言葉だ。
受けると決めた日のこと
正直に言うと、昨年の11月まではもう受けるつもりがなかった。
9年前の傷は深く、そのまま時間だけが過ぎていた。諦めていた、というより、見ないようにしていたのかもしれない。
転機は、昨年キャニオンズのヘルプガイドとして現場に入ったことだった。渓谷に戻り、水の音を聞き、体を動かしながら、ふと思った。このまま終わったら、一生後悔する。その感覚は、思いのほか鮮明だった。
費用を調べると、想像より高かった。正直、予算オーバーだった。それでも、もっとキャニオニングが上手くなりたいという気持ちが、躊躇を上回った。
もうひとつ背中を押してくれたのが、9年前に一緒に戦ったジャンボやアキさんも受けると聞いたことだ。このメンバーなら、チャンスがある。そう思えた。
準備を始めたものの、ICC(TOKYO WASABIのビックイベント)が終わるまでは集中できない。終わってからギアを上げようと決めて、少しずつ練習を積み始めた。
ところが、肩の神経麻痺になった。
腕に力が入らない。練習どころではない状態が続いた。コースまでの時間は刻々と迫っていた。
それでも、行くことにした。
ギリギリの状態で、紀伊半島へ向かった。
10名の覚悟
今回のコースは総勢10名。全員が、何かしらの思いや覚悟を抱えて紀伊半島に集まった人たちだった。
その中には、CICのアシスタントコースを一緒に受講した仲間もいた。そして9年前のあのボロボロのコースをともに経験した仲間が、4人いた。
あの日の悔しさを知っている4人が、また同じフィールドに立っている。それだけで、言葉にならないものがあった。
10名の中で、私は2回目の挑戦。ほとんどのメンバーも、軽い気持ちで来た人は一人もいなかった。
アキさんのこと
特に忘れられないのが、アキさんのことだ。
アキさんとは、キャニオンズでキャニオニングを始めた同期だ。体験会から一緒に参加して、同じ水しぶきを浴びながらここまで来た。トレーニングの時期から社内のガイド試験に合格する日も一緒だった、そのアキさんが今回のコースに向けて、渓谷のデータや情報を徹底的に集めてくれた。資料を整理するだけでなく、実際に現地へ足を運んで確認しに行くほどの準備をしていた。
体験会から一緒に歩んできた仲間が、同じコースで隣に立っている。そのおかげで私たちは、初めて入る渓谷でも地に足のついた判断ができた場面が何度もあった。
キャニオニングはチームスポーツだと、改めて思い知った。
紀伊半島、それぞれの渓谷
コースで入った渓谷は、相野谷、笹の滝、うちがの、市老谷、古川岩屋谷——紀伊半島の奥深くに刻まれた、それぞれ全く異なる顔を持つ場所たちだった。
静かに深く刻まれた峡谷、轟音と水しぶきの滝、細い水流が岩盤を磨き続けてきた時間の痕跡。どの渓谷も、人間が謙虚にならざるを得ない場所だった。のりさんと以前下ったことのある渓谷もあり、水の流れを眺めながら当時の記憶が静かに蘇る瞬間もあった。
仲間たちと励まし合い、ボロボロになりながら進んだ。足が痛い、腕が疲れた、頭が回らない——そんな状態でも笑えたのは、隣に同じ顔をした仲間がいたからだと思う。
講師陣の指導は熱く、そして容赦がなかった。それが嬉しかった。本気で向き合ってくれている人の厳しさは、ちゃんと温かい。
炊飯器カレーと、生き延びる技術
宿泊先に小さな炊飯器を持参して、ほぼ毎日カレーを作って乗り切った。疲れ果てて帰ってきても、カレーがあれば食べられる。翌日のエネルギーになる。これは立派なサバイバル技術だと思っている。
渓谷の中では真剣に、宿では炊飯器を囲んでカレーを食べる。そのギャップが、なんとも言えず愛おしかった。
支えてくれた人たち
「農家のくせに15日もキャニオニングに行くなんて」と笑われてもおかしくない。それでもたっちゃんは何も言わずに、いや、むしろ背中を押してくれた。農場を守りながら、言葉では足りない感謝がある。
出発前、ももさんから最高のキャニオニングシューズをプレゼントしてもらった。新しいシューズを履いて渓谷に入るたびに、「一緒に頑張ろう」という無言のメッセージを感じた。
合格の瞬間
結果発表のとき、自分の名前が呼ばれた瞬間に感じたのは、派手な喜びではなかった。やり切ったという達成感と、ちゃんと報告できるという安堵感。それが静かに、しかし確かに胸に広がった。
泣いたのは、ジャンボの名前が呼ばれたときだった。
テスト中、本人も手応えがなさそうだった。9年前から一緒に戦ってきた仲間が、不安そうな顔をしているのが見えた。ダメかもしれない、と思っていた。その不安が大きかった分だけ、名前が呼ばれた瞬間の感動は、自分でも予想していなかったほど大きかった。
9年前、二人でボロボロになったあの日のことを思い出した。
あのとき諦めなくてよかった。
のりさんへ
9年前の言葉を、今ここで受け取れた気がします。
あのとき悔しくて、情けなくて、それでもずっと諦めなかったのは、あなたの言葉があったからかもしれません。ありがとうございました。
これから
2026年の大きな目標をひとつ、果たすことができた。
これからは奥多摩を拠点に、プライベートガイドとして奥多摩と東京の魅力を伝えていきたい。水と岩と重力の世界に、もっと多くの人を連れていきたい。
秋にはSCAJというコーヒー日本最大のイベントへの参加もある。そして、わさび農家としての仕事にも全力で向き合う。
世界で1番キャニオニングができるわさび農家として一所懸命に人生やりきりたいと思います。
本気で遊ぶって楽しいですね。
また奥多摩から、また動き出す。
