東京でもわさびが採れるって知ってましたか?
ここ奥多摩町にはたくさんのわさび田があります。
現在、日本が世界に発信している多くの文化、「寿司」「天ぷら」「歌舞伎」などが生まれた江戸時代。
徳川将軍家へ献上され江戸の食文化を下支えした伝統のある奥多摩わさび。
そんな徳川時代から続く奥多摩の伝統的なわさび栽培は、長い間奥多摩のわさび農家さんの手で守られています。
そんなわさび農家さんたちも高齢化が進み、わさび田の存続が難しくなっているところもあり、現在では奥多摩わさびはとても希少です。
1. わさびについて
わさびと言ったら、お寿司やお刺身には欠かせない定番の薬味となっており、世界でも「WASABI」として認識されています。
一般的にスーパーマーケットなどで売られているよく口にするわさびというのは、西洋わさびなど他のわさびの仲間もミックスされたものが多いです。
本わさびを食べたことがある方はもしかしたら少ないかもしれません。なんとなくわさびの色や形は想像できるかもしれませんが、本わさびとは実際どのようなものなのでしょうか?
●わさびの種類
わさびは大きく分けて2種類、「水わさび」と「畑わさび」があります。
みなさんがよく口にしているわさびというのは、「水わさび」になります。
「水わさび」はきれいな水が絶えず流れることによって、根茎が伸びていき、その成長したところをありがたくいただいています。
一方、「畑わさび」というのは、その名の通り土の畑に植えられたものです。
土に植えられたわさびは地下茎や根ではなく、茎や葉がよく成長します。
わさびというのはとても興味深い植物で、植える場所によって成長する部位が異なります。
< わさびの産地 >※2022年度
・水わさび
- 長野県
- 静岡県
- 奥多摩町
・畑わさび
- 岩手県
- 静岡県
- 高知県
ここ奥多摩町は「水わさび」の収穫量が第3位となっています。
●わさびってどんな植物?
わさび(学名:Eutrema japonicum)はアブラナ科ワサビ属の植物です。
アブラナ科の植物というのは、キャベツや小松菜、大根、ブロッコリーなどがあります。
わさびは日本原産の多年草で、漢字では「山葵」となります。
強い独特な刺激のある香味を持ち、薬味などの香辛料として使われます。
わさびという名前がつく植物というのは他にもあり、西洋わさびとして知られているホースラディッシュや山わさびなどがあります。
そのため、差別化するためにわさびは「本わさび」と呼ばれることもあります。
わさびは大きくわけて4つの部位に分かれており、下の方から根・根茎(こんけい)・茎・葉という構成になっています。
私たちがよく食べている部分というのは根茎になります。
根茎というのは茎が地下もしくは地表面を這うように伸びて肥大化したもので一見根のように見えます。
このように茎が肥大化したものを食しているというものは身近にあり、ジャガイモや里芋、レンコン、しょうがなどもこの仲間になります。
(厳密にはジャガイモや里芋は塊茎(かいけい)、レンコンやしょうがは根茎。)
わさびの他の部位、茎や葉ももちろん食べることができ、主にわさび漬けなどの漬物に使用されています。
わさびには花もあり、春頃が花の時期になりますが、花が咲く前の蕾も加工し食べることができます。
わさびは捨てるところがほとんどないすばらしい食材です!
●わさびの辛さの秘密
わさびを食べた時には鼻にツンと抜けるような辛さがあります。
この辛味の主成分というのがアリルイソチオシアネート(Allyl isothiocyanate,AITC)です。
わさびをはじめとするアブラナ科の植物にはグルコシノレート(Glucosinolates)という成分が含まれています。別名からし油配糖体とも呼ばれています。
わさびにはシニグリンと呼ばれるグルコシノレートが含まれており、わさびをすりおろす際にその細胞が壊されることによりシニグリンが細胞内にある酵素(ミロシナーゼ)と反応し、ここでアリルイソチオシアネートが生成されます。
アリルイソチオシアネートは揮発性の物質ですので、鼻にツンとした辛さを感じたあとはその辛さを残すことはありません。
赤唐辛子などとは異なる辛味成分であることがわかります。
わさびは細胞が壊された分だけ辛さを発揮するので、おろし金を使用することでより辛さが際立ちます。
時間が経つと辛味成分が揮発してしまうので、食べる分だけすりおろして食べると良いです。また、逆に辛さが苦手な方は少し置いておくと辛さがまろやかになります。
近年、このわさびの辛味成分アリルイソチオシアネートが持つ効能も注目されています。
強い抗菌作用があることは昔から知られており、食中毒の予防として寿司や刺身と一緒に食べられているというのも納得できます。
また、がん細胞の抑制、認知症予防、抗アレルギー作用などもあるようです。
2. 奥多摩わさびの特徴
奥多摩のわさびは「水わさび」となり、渓流や湧き水で栽培するものです。
水わさびはわさび田で栽培しますが、代表的な2つの形式があります。
1つ目は、静岡から伝わったもっとも古い栽培方法である「地沢式」。
3~4%の傾斜がある山間部などのわさび田に砂礫(されき)を敷き、水量の変化が大きい土地でもわさびの栽培ができるという特徴があります。
2つ目は、19世紀後半に開発された「畳石式」。
下層から上層へ大中小の石を順に積み上げ、表層部に砂礫を敷く複層構造になっています。
豊富な湧水をかけ流すことで、不純物のろ過・水温の安定・栄養分や酸素の供給を同時に行うことができ、わさびの安定生産が可能になります。
東京奥多摩地区では地沢式と畳石式、両方の栽培方法の良いところをうまく組み合わせ、奥多摩の地形や気候などに合わせて先人の手で改良され生み出された「奥多摩式」で栽培されています。
一般的な地沢式栽培とういうのは、標高500~1,150mの沢沿いに棚田状にわさび田を作り、1年を通して温度差の少ないきれいな沢水を流し続けることで成り立ちます。(現在、地沢式の発祥の地である静岡ではほとんどが畳石式に移行し栽培が行われています。)
「奥多摩式」の特長は、まず田の表面に砂礫ではなくそれよりも大きい細かい石を使用するということです。
一般的にわさびの栽培には水はけのよい砂礫などの土壌が必要ですが、奥多摩では冬の厳しい寒さを乗り切るためにこのような対策が取られています。
それから、田に畝(うね)をつけるという点です。
その場所の水量に応じて、畝を縦に作ったり横に作ったりして水量を調整します。
一般的に水わさびの栽培には9~16℃の水温が適しており、またその温度差も少ない方が良いと言われています。
奥多摩地区では1年を通して12~16℃を保つことができます。
さらに、わさびは強い日光も嫌います。
奥多摩にはその条件がそろったすばらしい場所がたくさんあります。
わさび田は1か所にまとまっているのではなく、小さいものが点在しています。
わさびの栽培は非常にデリケートで難しいと言われていますし、きれいな水がある所でしか育たないとよく聞くと思います。
ここでちょっと余談なんですが、なぜきれいな水があるところでしか水わさびは育たないのでしょうか?
それはわさびに含まれる辛味成分「アリルイソチオシアネート」により自家中毒を起こすからなんです。
わさびが成長するにあたり、細胞分裂をする際にアリルイソチオシアネートが作り出され放出されます。
これにはワサビ自身が土壌中の栄養分を優先的に得るために、他の植物などを寄せ付けないようにする働きがあります。
非常に強い刺激のある成分ですので、揮発性があるとはいえ放っておくと成長の妨げになってしまいます。
そこで、きれいな水を絶えず流し続けることにより、アリルイソチオシアネートを洗い流すことができるのです。
3. 奥多摩わさびの歴史
日本固有の食材であるわさびの歴史は非常に古く、飛鳥時代の文献にその存在が確認されています。
奈良時代の文献には「山葵」として登場しています。
また、平安時代の文献、日本最古の薬草事典「本草和名(ほんぞうわみょう)」には「和佐比」と記載されており、当時は薬草として重宝されていたようです。
長い間、渓谷に自生しているわさびを採取することでしかわさびを手に入れられなかったようです。
日本で最初にわさび栽培が始まったのは、静岡県有東木だと言われています。
村人が有東木の渓谷に自生しているわさびを湧水地に植えたのが始まりで、約400年の歴史があります。
奥多摩のわさびは徳川時代から生産され、200年前から江戸へ搬出されたと伝えられています。
徳川将軍家へ献上され、江戸の食文化を下支えした奥多摩わさびの歴史はこのあたりから始まります。
美食家であった徳川家康は献上されたわさびを気に入り、わさび栽培を奨励したのだそう。
明治半ば頃からは商品的に扱われるようになり、山村地帯の特産物として現金収入の大きな源となっていたようです。
明治38年の記録によると、当時氷川村(現在の奥多摩駅付近)は年間予算7,800円に対し、わさびの売り上げはそれをはるかに上回る20,000円であったと伝えられています。
その後、木材の伐採などの産業開発に伴い、栽培環境が徐々に悪化し、さらに約10年おきに大洪水の被害を受けました。
最近でも2019年に台風の被害が出ましたが、洪水などの災害によりわさび田が流出し、その都度わさび農家さんの栽培意欲を減退させていきました。
昭和初期の不景気、引き続く戦争がさらなる衰退を招き、戦争と食糧増産の時代にはわさび栽培は半ば放棄せざるを得なかったようです。
終戦後は経済が徐々に回復し、山村の特長を活かしたわさび栽培に着目され、日本人古来の嗜好品としてのわさびが珍重がられるようになりました。
昭和19年には氷川まで電車が開通し、東京市場までの出荷が便利になりました。
奥多摩地区では古くから産地仲買の人々が栽培者を牛耳り、開田費用から買取り出荷まで一貫して行われていたそうです。
ある時、仲買人が直接市場へわさびを出荷し、利益を得ているというウワサがどこからか伝わり、やがて栽培者自らが行くようになったとのこと。
当時、奥多摩わさびは伊豆地方のわさびと比べ物にならないくらい、形状・品質共に劣っており、商品価値に大きな隔たりがあったそうです。
栽培者自らが市場に足を運ぶようになって、市場の傾向を知ることができました。
伊豆地方のものに負けないわさびを作ろうと、栽培者が団結し、昭和28年には氷川・古里・小河内の栽培者を結集し「奥多摩山葵(わさび)栽培組合」が発足しました。
現在でも「奥多摩わさび栽培組合」は存続しており、奥多摩のわさび栽培を守っています。
※私たちのメンバー2人は加入しています。
参考資料:
奥多摩わさび 発足20周年
知って楽しいわさび旅(株式会社産業編集センター発行)
4. 奥多摩わさび栽培の現状とこれから
奥多摩のわさび栽培を支えているのが「奥多摩山葵(わさび)栽培組合」です。
組合メンバーは現在約60名で、平均年齢は60歳を超えています。
歴史ある奥多摩わさびを昔からずっと守ってきた先輩方が、今でも奥多摩わさびを支えています。
2019年の台風19号の被害は甚大で、史上最大と言われており、被害総額は約23億6千万円。
「激甚災害」に指定され、現在でも壊されたままのわさび田あります。
復興が難しいわさび田もあり、さらに先輩方の高齢化も進み、わさび田の存続が厳しいところもあります。
わさび栽培というのは、思っているよりもかなりの重労働。
特に奥多摩では山の斜面にわさび田があるので、昔は2時間以上かけてわさび田まで登っていたそうです。(現在ではわさび田用モノレールを使用している方もいます。それでも1時間近く乗ったままだったり…)
わさびを植えるだけではなく、わさび田の整備は力仕事(石垣を直したり)、シカやイノシシ、クマといった動物とも闘いの日々です。
私たちは先輩方の守り抜いてきた奥多摩わさびをこの先もずっと守り続けるために、奥多摩山葵(わさび)組合に所属し、わさび栽培だけではなく、わさび田の復興活動も行っています。
※わさび田復興活動の様子はYouTubeでご覧いただけます。(結構楽しくやっております。その他わさび体験ツアーの様子などもあります。)
現在、奥多摩町でわさび栽培を専業としているのはたったの数人のみで、その中の一人が私たちのメンバーのTacchanです。
2021年4月から、奥多摩山葵(わさび)栽培組合の小丹波地区代表に就任しています。
これからもより一層、奥多摩わさびを盛り上げていけるように頑張っていきたいと思います。
応援よろしくお願い致します!
参考資料:西多摩新聞、朝日新聞デジタル、静岡水わさびの伝統栽培